心を騒がせない

万代恒雄

 聖書のヨハネによる福音書14章1節をお読みいたします。
「あなたがたは心を騒してはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」

これは、イエス・キリストが語られた、尊いお言葉です。
平和であると思っていた日本もだんだん平和があやしくなってきたような気がいたします。世相が騒然として、いろいろなところで、いろいろな問題が起こり始めました。こうした事について真剣に日本の将来を憂いている人も多いことでしょう。私達一人一人も皆それと同じ気持ちだと思うのです。

しかし、こんな雑然とした不安な世界は、一体何によって平安を得たらよいと、あなたはお考えになりますか。私達は、自分の小さな心の中にも多くの波風が立つことを知っています。自分の家庭、自分の社会、そして自分自身の中に、私達は不安がうずまいていることを認めないわけにはいかないでしょう。このような私達は、何かによって、自分の平安を取り戻していかなければ、きっとノイローゼになって、自分を破滅させてしまうに違いがありません。

現代、多くの人が不安にしばられて、自己を失ってしまっています。社会が悪いから、いや政治が悪いからといって、私達のまわりにある不安や、あるいは恐怖というようなものをそのままにしておいて、それに自分が巻き込まれ、自らを滅ぼしてしまうことは愚かだと思います。

イエス・キリストは、「あなたがたは心を騒してはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」と言われたのです。

「神を信じなさい」と、私もあなたにおすすめしたいのです。すると、あなたは牧師だから、あるいはクリスチャンだから、そういうことを言うのだと言われるかも知れません。しかし、なぜ神を信じなければならないかということの中には素晴らしい理由があるのです。不安な世の中において、私達は頼れる方を見つけなければなりません。私がここで神と申し上げるのは、いわゆる偶像のことを言っているのではなく、絶対的なお方のことです。たとえ人間がどのように変わっても、世界がどのように変わっても、変わることのないお方、絶対的な神のことを言っているのです。

また、「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも変わらない」(ヘブル13章8節)との聖書のお言葉があります。人の心が移り変わり、社会の制度が移り変わっても、絶対に変わることのない神を信頼しようと言っているのです。イエス・キリストが「あなたがたは心を騒がせないがよい」と言われたのは、絶対的に変わることのないお方を示すためにこう言われたのです。

イエス・キリストを信じて、まことの神の中に自分を見い出していくときに、あなたは不思議な平安を握ることができるに違いがありません。どのようにあなたの心が騒いでいても、変わりない、間違いのない、そしていつまでも同じようにあなたに働きかけてくださるお方を持つことはなんと幸いなことではありませんか。

この日、イエス・キリストは、あなたの心の中の罪をきよめて、あなたも心の中に神をもつようにと勧められています。あなたが自分で心をつよくせよと言うのではございません。イエス・キリストの十字架があなたの心をきよめてくださるのです。彼は、その十字架において、あなたのいっさいの不安と恐怖の原因である、あなたの罪を処分してくださったのです。今、あなたがイエス・キリストを信じる心を持つならば、イエス・キリストの平安が、あなたの心と思いとを守ることができて、あなたは不安の中にもまことに落ち着いた平安な生活を送ることができるのです。

(放送メッセージより)