キリストの救い
万代恒雄
いつものように、まず聖書を開きます。詩篇116篇2節です。
「主は、私に耳を傾けられるので、私は生きる限り主を呼び求めよう。」
死ぬその時まで、イエス様の名前を呼ぶのだと、詩篇の作者は決心しました。それは、イエス・キリストが私に耳を傾けるからだとあります。神様は、多分助けてくれるかも知れない、というような、断定のできない状態ではなく、はっきりと言い切っているのです。信仰と言うものは、力強い確信を、私たちの中に与えるものです。
最初は、半信半疑でいても、やがて神様の恵みがあなたの中に浸透してくると、言いようのない確信が、生活の中に生まれてきます。ですから、問題があってもなくても、とにかく新しい日を迎えると、イエス様に祈らないわけにはいかなくなってくるという心境になるのです。私自身も、車を運転していても、どういう場所にいる時でも、「イエス様」と、度々一人で祈ることがあるのです。
主をとにかく呼び求めようという詩篇の作者の気持ちが痛いほどわかるのです。
あなたは今どんな問題をお持ちですか。人間は問題をたくさん持っているのですが、その問題の中で、どういう姿勢をとるかということが大切なことであると思います。自分の全力を尽くしてだめなら、それでいい。神なんか信じる必要はないと、いともあっさり言う方もおられますが、人間はそれほどあっさりしたものではないと思うのです。言葉の上のことではなく、本当の自分の心の中には、何とかしたいという願いがあるのではないでしょうか。その時に、生きるかぎり神の前に求め続けようというような決心が、あなたの中にあったならば、あなたがどれだけ多くの祝福を自分のものにすることができるかわかりません。
世の中には、名前を呼べば助けてくれるような力強い友人もいることでしょう。また、愛情に満ちた親もいることでしょう。それらの人の名前を一生懸命呼んでも、人にはできないこともあるので、ただ悲しみを含んだ目で見つめてくるだけのこともあるでしょう。
しかし、私たちの救い主であるイエス・キリストに対して、あなたが本当に真心をこめて呼び求めるならば、神様は聞いてくださいます。そして、あなたに救いの手をのばしてくださいます。信じようではありませんか。
では、どうしたらそのように呼び求めることができ、また、聞いていただけるような関係ができるのでしょうか。それは簡単なことです。
あなたの今日までの、神様を信じなかった不信仰な思いをお詫びして、あなたの救いの道を開いてくださったイエス・キリストを心の中に受け入れて、「イエス様、私は、イエス様が、まことの救い主であることを心から信じます。」という信仰の告白をして、神様との交わりを持たせていただくことです。そうするならば、「主よ、私を助けてください。」というような叫び声が届くようになるのです。それを神様は、今あなたに対してのぞんでおられるのです。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3・16)
(放送メッセージより)