苦しみに勝利するために

万代 恒雄 

 

 病の中でも、心の病は深刻な病だと思います。しかしながら、多くの人が口に出しては言えない、いろんな面での心の病を抱えて悩んでいるのではないでしょうか。

 そうした病からいやされて、また、心病むことのない強い人生を生きるためには、どうしたらよいのでしょうか。聖書のことばには、そんな心の病に対する、素晴らしい治癒の力があることを私は経験を通して知っています。

 聖書の中には、数多くの神様の約束がありますが、その約束は全部、私たちのたましいを健全にするための約束です。そんな素晴らしい神の約束を、どうして多くの人は利用しないのかと考えてしまうのです。

 聖書を開いてみましょう。詩篇119篇71節です。

「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」

 苦しみに会うということは私たちにとって、決して良いことではありません。喜びでもありません。しかし、詩篇の作者は「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせだった」、他の訳では「良い事です」と語っています。なぜなら、苦しみに会うことで、彼は神様のおきて、つまり定め、計画、そこにある神様の知恵を学ぶことができたからです。

私は、「苦しみが来ないように」というような、苦しみを避けようとする意味での信仰の持ち方は、あまり正しくないと思っています。もちろん、信仰を持つことで、苦しみを避けられることもあるのですが、それは消極的な信仰の持ち方でしかありません。信仰のない世界でも、苦しみは人生の教師だと言われるのです。であるならば、まことの神様を恐れ、イエス・キリストを信じる者が出会う苦しみには、それ以上の価値や意味があります。

苦しみを通して、神様のおきてを学ばせていただけることのみならず、信じる者が経験する苦しみは、神様の力によって全部良いように変えられるのです。苦しみが無駄になることは決してありません。ですから、イエス・キリストを信じる信仰をもって生きて行く時、あなたは苦しみを恐れる必要がないのです。

 本当の人生の喜びは、苦しみから逃げることではなく、苦しみを乗り越え、勝利して行くことで得られるものです。そして苦しみは、私たちの誰もが何らかの形で経験するのですが、そこで、苦しみに勝利する方法を持っていないと、私たちはいたずらに苦しみを恐れ、逃避し、心が病んでしまうのです。

「苦しみに会ったことはわたしにとって、しあわせだった」と言える人になりたいとは思いませんか。「それで私は神様のおきてを学んだ」と言える私でありたいと願いませんか。そのためには、あなたはイエス・キリストを信じなければなりません。イエス・キリストへの信仰が、苦しみを乗り越え、苦しみに勝利するための最高の方法なのです。

今、苦しみの中にある方、あなたがイエス・キリストを信じるなら「あの時、苦しみにあったことは良かったのだ。それで私は、私にとって必要な真理に対しての目が開かれた」と、きっと言えるに違いありません。心が病んでしまうことからも解放されます。ですから、大胆にイエス・キリストを信じ、救いを受け入れましょう。そして悔い改めて、今日から神様を中心に、神様のことばに生きるということを決意しましょう。そんなあなたへの祝福が、神様によって約束されています。

(放送メッセージより)