良き相談相手

                                  万代恒雄

 人は問題にぶつかると、自分だけがこんな苦しみに出会っているというような意識にとらわれることが多いようです。自殺したり、愚かなことをやってしまったりするのもそのような意識が働くからでしょう。しかし、私たちがまことの神に対する信仰を持つことができれば、人生のどんな苦しい問題も必ず乗り越えることができると私は信じます。

聖書を開いてみましょう。詩篇119篇24節には、「まことに、あなたのさとしは私の喜び、私の相談相手です。」とあります。

 あなたもきっとすばらしい相談相手をお持ちではないかと思います。そんな相談相手はいないと言われる方も、実は何らかの形において、あなたの問題を打ち明けたり、相談したりすることのできる人、もしくは機関があるのです。もっとも相談相手を持ちすぎて迷う人もいないわけではありませんが、聖書は、神様以上の相談相手はどこにも見つけることができないことを私たちに教えているのです。そして、神様を自分の一番の相談相手とすることが、信仰だということができるでしょう。

あなたは信仰をどのように受け止めていますか。日本人のもっている信仰に対する意識というのは、私が判断するところ、困った時の神頼みというのが多いのではないかと思います。日頃は偉そうなことを言っている人でも、癌になったとか、子供が家出をしたとか、いろいろな難しい問題にぶつかると、何でもやたらに信じたくなるという心境に陥るようです。でもそれは、本来の聖書が示しているところの信仰とは違います。信仰とは困った時に110番をかけて警察を呼ぶとか、119番で救急車や消防車を呼ぶとか言うような意味での助けではないのです。信仰とは毎日の生きる道です。そこで聖書は、相談相手ということばで神様のことを語っているのです。

 毎日相談相手がいればすばらしいと思いませんか。日々の生活の中で、自分の相談相手をしっかりと持っている人は本当に幸せ者です。しかし、私たちが今、仮に信仰を持たないで、良い相談相手を持っていると断言したとしても、その相手は人間でしょう。また、人間の書いた書物であるかも知れません。とするならば、人間というのは変わることがありますし、歴史の中での偉大な人物の業績だって、時代の経過や立場の違いによって評価が変わってきます。その変わっていくものを本当の相談相手にはできないのです。なぜなら、判断の狂いがあり得るからです。しかし、神のおことばは永遠に不変です。「この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」(マルコの福音書13章31節)

 このことを思う時に、神様のおことば、そして私たちの救い主となられた神の御子イエス・キリストのおことばは、私たちにとって驚くべき相談相手となるのです。ですから、信仰を困った時の神頼みにしないで、毎日の生活の中における相談相手としてとらえて欲しいと思うのです。神に語り、悩みがあったら神に祈り、そして瞑想してみる。聖書を開いて読んでみる。そのような生活をしていると、不思議と知恵が泉のようにあふれてくるものです。そうした、落ち着いた心の中でするあなたの決定は間違えることがありません。愚かなりとも迷うことなしと、聖書は語るからです。。

あなたも神様のおことばを、あなたの大切な相談相手として信じる信仰をおもちください。

(放送メッセージより)