素直な心で

万代恒雄

 

まず、新約聖書マタイの福音書15章19節の中からのおことばを読んでみましょう。

「悪い考え、殺人、不品行、盗み、偽証、ののしりは心から出てくるからです。」

聖書はさまざまな私達の罪と呼ばれる行為は心の中から出てくると言っています。この世界には大小さまざまな罪が満ちあふれています。意識的に犯す罪もあれば、無意識に犯してしまう罪もあります。個人的な罪もあれば、社会的、国家的な、いや、国際的と言われるような犯罪もあります。この頃は、大胆に白昼公然と行われるような犯罪もあったりします。しかしながら、罪というものの多くは人の目から隠れて犯されるものであり、闇の中で行われる行為です。

こんなことを言うと、「私達のような善良な人間には罪と言うことばは当てはまらない」と思われる方もおられるでしょう。しかし、罪というものを見るときには、あなたの目、あなたの良心の物差し、そんなもので計ってはいけません。

なぜならば、人間の物差しは人によって違うからです。公の場所でチューインガムのカスを捨てたり、ポケットのゴミを道端に捨てたりというようなことは誰でもがしてしまいそうなことに思えますが、ある国においてはそんなことをすれば罰金をとられてしまいます。嘘も方便と言って、嘘を言うくらい当たり前と考える人もいれば、それはいけないと思っている人もいます。現在は絶滅していますが、以前いた人食い人種であればよその村の人を殺しても殺人とは感じなかったかも知れませんが、文明国家では大変な犯罪です。このように、人間のもっている物差しはそれぞれに違っていますから、その物差しで計って、あれは罪だ、これは罪ではないとは言えません。聖書に書かれてある神のおことばの標準に照らし、私達はこれを計らなければなりません。

人間の心の罪というものを神様は見ておられます。心の中から悪い思いが出てくると聖書は言っています。罪、確かにそれは醜いものですが、むしろそれよりも、まず私たちの心の頑固さを考えてみたいと思います。それは罪というものを持っておりながら、素直にそれを神様の前で告白して赦していただこうとする心を持たない頑なさです。この頑なな心が神の祝福を拒むのです。私達すべての悩みや苦しみの原因、それはあなたの心の頑なさから来ています。

なぜならば、イエス・キリストはあなたのその罪の身代わりとして十字架にかかられ、あなたのために尊い救いの道を開いてくださったからです。「彼(イエス・キリスト)は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(イザヤ53・5)そして、あなたがそれを信じるときに救われ、あなたが幸せに生きる方法を聖書ははっきりと教えています。

ローマ人への手紙3章23節には「すべての人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず」とあります。それでも、「いいえ、私はそんなことはありません」というこの心の頑固さこそ砕かれなければなりません。

御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめるのです。神様のおことばに頼って素直な心になり、たとえ大きな犯罪を犯さないとしても、「やはり私の心は汚い。イエス・キリストの十字架の血によってきよめていただかなければならない」と率直に認める時に、神は私達を祝福してくださるのです。

あなたもイエス・キリストを信じて、心の中の大掃除をしようではありませんか。

(放送メッセージより)