まことの救い

万代恒雄

まず聖書を開きましょう。
詩篇69篇13節です。
「しかし主よ。この私はあなたに祈ります。神よ、みこころの時に。あなたの豊かな恵みにより、御救いのまことをもって私に答えてください。

この詩篇の作者は、神様の豊かな恵みにより、御救いのまことをもって、私に答えてください、と求めているのです。御心の時に来る救いということです。

人生は自分で自由自在にやっているように思いますが、実はその反対であって、自分の思う通り何もならないと言うのが実感なのではないでしょうか。自分の思い通りにはどうにもならないということは、私達の知らない力が働いていると言わなければなりません。なぜなら、私達は自分で考え決断して、自分の思い通りに行動にも移しますが、もし、何の力も働いていないとするならば、すべてが自分の思い通りに動いて不思議ではありません。しかしながら、私達の人生をじっと見つめるときに、とても自分の思い通りにはならないということを感じるはずです。そうしたときに、私達は神様のお力の中に、自分自身を委ねてしまうという事がどんなに素晴らしいことかということを経験させていただけるわけです。

全能の神の力が、私達の生活の背後にあって導いてくださり、神様は折りにかなってうるわしいことを次々としてくださるのです。神様の時にかなったその時に、豊かな恵みによって報いをお与えくださると信じて祈り、期待して日々の生活を送ってゆくのです。神様がすべてを支配していらっしゃるから、神の御手の中にあって、神の御心のままに動かされて行こうというのがクリスチャン生活です。何という平安な喜びに満ちた生活でしょうか。私たちが自分でくよくよ悩んだり、うろたえたりしたところで一体何が起こるでしょうか。神を信じて、信仰によって神のなさる最善を期待して、それに向かって生きて行くという、力強いクリスチャン生活を、あなたもご自分のものとしていただけたら幸いと思います。

病気の時に、あるいは家庭でのいろいろな問題の時、困難にぶつかったときに、私たちは神様に祈ることができるのです。イエス・キリストは、私達を神に至らせるために、ご自分の身体に私達の罪を背負って十字架にかかって死んでくださいました。もし、自分の心の中にある罪と言う問題に対する勝利をしておかなければ、神に聞くことも神を見ることもできないからです。私達は、イエス・キリストを通して神を知ることができるのです。そして私たちは、神が私の人生を動かしてくださるのだという事に対して確信をもつことができるのです。どんな問題の中にあったとしても、神が御心の時に豊かな恵みによって私を助けてくださると言い切れる人は何と幸いな人でしょう。

あなたが持っている問題とは何でしょうか。あなたの問題と、あなたとの間にイエス・キリストを信じる信仰を入れてみてください。信仰と言うフィルターを通して、私たちが物事を見るときに、そこには神の御手を見ることができ、神が解決してくださるという事に対して信仰をもって、安心に満たされるのです。神様が私達の背後にいてくださるという絶対的な証拠こそ、私達の人生を間違いなく幸せにする道であると私は信じています。自分の悩み、問題の全てを神の前に投げ出して、信仰の目をもってその問題見る者になりましょう。キリストの救いがあなたのものになるのです。

(放送メッセージより)