御霊に導かれる生活

万代恒雄

 今日も、まず聖書のおことばを開きましょう。
詩篇139篇7節を開きましょう。

「私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。」

これは神様を信じる忠実な僕は、神様の御霊からのがれてどこへも行けない、つまり、神様の御霊がいつも私を導いて、助けていてくださるという信仰の告白であります。

信仰を持つということは、私達にとって目に見える形を拝むことではありません。世界中のクリスチャンは、天地宇宙を造られた真の神、そして、その神ご自身がお送りくださった救い主イエス・キリストを信じているのです。神の御霊が私達の中に働いてくださると確信して生かされていますが、心に働きかけてくださる神の霊の力の強さというものを、私達はいつも感じるのです。

時々、虫が知らせたとか、何か予感がしたとかいうことがあります。それらは、あまり良い意味では使われませんが、悪い意味であるとするならば、もちろん悪霊の働きもありますから、そのようなこともあるでしょう。だから、反対に良い神の霊の働きがあっても当然です。

何となく良いことが起こりそう、素晴らしいことがあるような予感というか、霊の感覚というものは、私達に大きな励ましになるものです。

私は講演のために、日本中各地に行くのですが、よく質問されることがあります。「何でそんなに嬉しそうになる希望があるのですか」とか、「何か良いことがあったのですか?」と。または今日何か良いことがあったということではなくても、何か必ずそういうことが起こるだろうという予感は、毎日いつでも感じているわけです。そこに詩篇の作者が「あなたの御霊から離れてどこへ行けましょう。…」といった気持ちが、そのまま私の中にあるわけです。

私は色々な方に出会いますが、何か悪いことが起こりはしないか、子どもが不良になったり、主人が浮気をしたりしないか、自分は悪い病気になるのではないか、というような予感に支配されている方々が多いのに驚きます。

真の神イエス・キリストを信じて、私には、すべてのことが相働いて益となるのだ、悪いことなど起こらない、と言い切れるような人生を送ってみたいと思いませんか。いつも幸せがそばに漂っているような、いつも神様の霊が自分を包んでいてくれるような、温かい雰囲気の中で、神様の恵みを求める者になりたいと思いませんか。

私達人間は、目に見えて、耳に聞こえて、「愛している」という言葉を愛のように感じているようです。言葉だけではありません。

私達は神様を信じたとき、神の霊の働きが、私達のたましいや私達の生活を包んでくれる喜びの中に、信仰者としての幸せ、安心感を味わっています。

あなたも、今日までの不信仰な気持ちを捨てて、イエス・キリストを救い主と信じて、天地宇宙を造られた、世界にただ一人の真の神に対する信仰をしっかり持って、この不思議な豊かな神の臨在感をご自分のものになさってください。

(放送メッセージより)