救いの恵み

万代恒雄

聖書は、ルカの福音書20章24節を開きましょう。
「デナリ銀貨をわたしに見せなさい。これはだれの肖像ですか。だれの銘ですか。」彼らは、「カイザルのです。」と言った。

世の中には、絶えず人のあげ足を取ろうとする人たちが存在します。イエス・キリストが神の国の福音を人々に宣べ伝えておられた時にも、それを面白く思わないで、そのあげ足を取り、陥れようとする人たちがいました。彼らはイエス様に「あなたは神の国について語っておられますが、地上の国の王であるローマ皇帝に税金を納めることは、正しいことなのでしょうか、そうではないのでしょうか」という質問をしました。そこでイエス様が答えられたのが冒頭のおことばです。

 イエス様は、「デナリ銀貨を見せなさい。そこにはだれの肖像が刻まれているか」と彼らに問い返しました。その銀貨に刻まれていたのは、ローマ皇帝カイザルの肖像です。そこでイエス様は、「カイザルのものはカイザルに納めよ。」とおっしゃって、税金を納めることは当然の義務ではないかと言われたのですが、これは単に税金を納めることの是非の問題ではないのです。イエス様は「神のものは神に返しなさい。」とことばを続けます。それは、銀貨に像が刻まれているように、私たち人にもだれかの像が刻まれていることを思い起こさせることばなのです。私たちにはだれの像が刻まれているのか?そうです。私たちには神の像が刻まれているのです。

 人というのは、自分で働いて給料を得て生きていると、自分は自分のもので誰のものでもないと感じ、自分勝手な生活をしがちです。しかし実は人は神のものなのです。人が自分自身のものではないという事の証明は簡単です。あなたにとって一番大事なのは命です。この命、まだまだ人生でやりたい事がたくさんあるから、あと何年も続けばいいと思ってみてもそうはいかなくて、この世を歯ぎしりしながら去って行かなければならない人がたくさんいるわけです。命が自分のものであるならば、寿命も何とかする事ができるではありませんか。

人は、自分が実は自分のものではなくて神のものであるという事を認識しなければならないのです。人の霊魂には神の像が刻まれているのです。ですから、私もあなたも神のものです。神のものである私たちの魂は当然神のふところに帰って行かなければなりません。国のお金というものが全て国の金庫に収められると同じように、私たちの魂が帰るべき所は神のもとなのです。

 人は神を見い出してこそ、本当の平安と喜びを知ることができるものです。だからイエス・キリストは、「悔い改めて神を信じなさい。」と伝えるのです。私たちが悔い改めて、神の御前に帰らなければ本当の救いと平安はないのです。お金や素晴らしい地位や名誉を獲得することによって平安を得ようとしても、それでは真実の平安はやってきません。私たちの魂が帰着する所を私たちが忘れているからです。お金や地位も名誉を求めることもよいでしょうが、私たちのたましいは神のものだということを考えたとき、神に対する信仰を持たないで生きるという事は危険だと考えませんか。

 私たちの魂の救い主であるイエス・キリストを信じて、聖書のおことばにより頼んで、まず神を信じて人生の第一歩を踏み出して行くことこそ、私たちのなすべきことであるのです。その先にこそ、神の救いの恵みをいただくことが出来るのです。

(放送メッセージより)