信仰の楯
万代恒雄
聖書を開いておきましょう。
旧約聖書詩篇89篇18節です。
「私たちの盾は主のもの、私たちの王はイスラエルの聖なる方のものだからです」
あなたを守ってくれるもの、それが楯なのです。敵の矢を防ぐ道具なのです。そのようなものを、あなたはお持ちですか。それともあなたは、自分にはお金があるから大丈夫とおっしゃいますか。
お金は、ある程度役に立つかも知れませんが、わざわいをもたらすことだってあります。健康、それもあてになりません。少し無理をすると体のどこかが悪くなり、痛みも加わることもあります。教育も、いくら一生懸命勉強しても、芽の出ない人もたくさんいます。
というわけで、本当に私たちを守ってくれるものは、案外ないということがわかります。しかし、私はないとは言いません。いや、あるのです。つまりそれは神様です。それは人間が作ったような偶像のたぐいでは駄目なのです。そのようなものに信頼をおくことはできません。
しかし、天地万物を作られたお方が、おひとりだけおられます。それは、唯一のまことの神様です。そのお方については、イエス・キリストが、聖書を通してはっきりと啓示してくださいました。故に、この神ご自身こそが、私たちを守ってくださる楯なのです。このお方、つまり、まことの神様が、私達の前におられると、私達の人生は、サタンがどのような攻撃をしかけてきても、あるいは、悪霊諸霊の類が私たちを呪おうと思ってやってきても、何ら困ることはないし、驚くこともありません。
以前、私はインドのマドラスのマリーナビーチで大集会を行いました。4万人の人々が集った大集会となり、その中では奇蹟がたくさん起こりました。後で知ったのですが、「その海岸では、毎晩ヒンズー教の僧侶たちが、万代牧師を呪う特別な集会をしかけて祈り続けていた」ということでした。一週間か、10日か、あるいは一か月か、彼らが何日祈ったのかわかりませんが、彼らの呪いは私には通じませんでした。それどころか、イエス・キリストの御名によって、その集会の中では、盲人の目が開くなど多くの神の御業があらわされました。地元の新聞でも、「奇蹟!奇蹟!」と大々的に報じられていました。
そして、最初の晩は三千名しか集まっていませんでしたが、4日目の最終日には、4万から4万5千人の人々が押しかけてきて、大きなグランドは人々の山となりました。そして、集会はすばらしいものになっていきました。集った多くの方々は、みんな恵まれ、喜びと感謝で満たされました。
あなたもイエス・キリストを信じるなら、神は驚くべき楯をもってあなたを守ってくださいます。そのような神様に守られているならば、人生において大胆なことができるし、勇気をもって踏み出すことができるのです。
あなたも、この、まことの神がくださる楯を握ってください。信仰の楯です。
(放送メッセージより)