まず聖書を開きましょう。

詩篇20篇6節です。

「今こそ、私は知る。主は油そそがれた者を、お救いになる。主は右の手の救いの力をもって聖なる天から、お答えになる。」

私達の日常生活で、色々な問題に出合っていらっしゃる方が多いです。体の病気などで苦しんでいる人達もいるのですが、最近では、精神的な病気とまで言わないでも、苦しんでいる方が、とても多く感じられます。心臓だとか胃癌だとかいう肉体的な病気と比べると、死の恐怖というものがあまり迫っていないので、割合平気で、「この夏、私はノイローゼでね…」なんて会話の中で告白したりしています。しかし、これも決して安心していられるものでもありません。ひどくなって廃人同様の状態に落ち込んでいく人も決して少なくありません。恐ろしいものだと思うのです。心の病も意外と多い時代になっているのです。ノイローゼなどは放っておくと次第に悪化してゆきます。やはり、ノイローゼのようだと気付いた時に、すぐに対処するべきだと思うのです。そんなことを考えながら、最初に開いた聖書を読んでみましょう。

「油そそがれた」というのは、信仰をもったというふうに考えたら良いと思います。「今こそ」という言葉が続きます。こういう言葉が私は非常に好きであります。これは緊迫感のある逃すことのできない、ひとつの時を示していると思うのです、私達も、グッドタイミングと言うような、折りにかなった助けを必要としていることがあるのではないでしょうか。

人との交わりの中で人間の言葉をあてにしている人、たとえ親友であっても、必要と思う時に必ずしも側にいてくれるとはかぎりません。その友人でも、何かと悩みをもっているのでしょうから、いつでも人のために心を注いでくれるわけではありません。

信仰を持つということの素晴らしさ、それをあなたに、本当に経験してもらいたいと思うのです。

私達も今までの信仰生活の中で、今こそ!というような意味で神を意識したことが度々あったからです。神との出会い、それは尊いものですが、いつの間にか、何となくフワッとした感じの信仰に対する意識を持った人もいないわけではないと思いますが、やはり神との出会いというのは劇的なセンセーショナルなものが多いのが当然かも知れません。なぜならば、そういう状況の中でないと、人は神を呼び求めないのかも知れません。あなたが今、仮に問題や悩みがないとしても、そういうあなたが心の備えをしている時、今こそ神が必要だという時に、神に向かって叫ぶことができるという幸せを必ず経験できると信じて感謝するのです。

神を信じている、信仰をもっている、これは何か事が起こった時に、どれほど大きな力に、或いは助けになるか知れません。私達が、いくらかの蓄えをもっていれば、何かの必要の時に、引き出して満たせばよいという感じで、それだって多少の慰めになるのですから、もし私たちが神に対する信仰をもっていたとしたら、今という時に助けが与えられるのです。神を信じる。これは私達の人生に於いて非常に大切なことです。自分が心細い時、或いは何か助けの必要な時、そういうタイミングの時、手の中に神に対する思いをしっかり握り締める感じで呼んだ時、神様が私達に働いてくださることを、ひしひしと感じるのです。だからこそ、「私は助けられる」、「私は助けられた」、と言えるような人生をお互いに送りたいと思いませんか。

多くの人生が、万一のために生命保険をかけているのですが、心の保証のために、神に対する信仰を持つということは、大変心強いことです。

イエス様は言われました。

「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」(ヨハネ14・1)

神を求める心をあなたの内にお持ちになるならば、あなたの人生は必ず素晴らしいものとなるでしょう。

(放送メッセージより)