今年も12月、クリスマスを迎える月となりました。やがて街には、クリスマスムードがあふれるようになります。所々で賛美歌を耳にすることもあり、心が大変なごんで参ります。クリスマスは、世界の教会において、イエス・キリストがお生まれになったことをお祝いする時です。あなたの心の中にも、イエス・キリストに対する信仰が芽生えることを心から願ってやみません。

「きょうダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(ルカ2・11)と、御使いが羊飼いたちにイエス様のお誕生を告げられました。そして、このことは民全体のためにすばらしい喜ばしいことなので、「恐れることではありません。」と言われました。そしてイエス様はユダヤのベツレヘムの馬小屋でご誕生されたのです。それを記念してお祝いするのがクリスマスです。

今日も聖書を開きましょう。マルコ7章37節です。

「この方のなさったことは、みなすばらしい。つんぼを聞えるようにし、おしを話せるようにしてくださった。」とあります。これはイエス・キリストがなさった様々な奇蹟について、その当時の人々が評価した言葉です。

このように、救い主イエス・キリストは、私たちの人生に驚くべき良きことをなさってくださるのです。耳の聞こえない者を聞えるようにしてくださるのです。耳の聞こえない者を聞えるようにしたとありますが、私たちは正しいことに対して耳を傾けることをしないで、悪いことやつまらないことは、よく聞こえるのです。もし、私たちが悪いことに対して耳をふさぐ者であるならば、世の中はもっと過ごしやすくなると思うのです。

私たちが一番聞かなければならないのは、神の恵みのことばです。そして、不真面目で不潔で不従順であった私たちのたましいが、神のおことばを聞くことによってきよめられることは、非常に大切なことではないかと思うのです。「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」(ローマ10章17節)と聖書は記しています。いくら聞いても聞けないようなことではだめです。神のお力によって、あなたの耳が神のことばに対して聞けるようになれば何と幸いなことでしょう。

また、口のきけない者を話せるようにされたというのです。私たちはつまらないことで口を開くことは多いのですが、肝心なことのためには口を開かないという悪い癖を持っています。神様がなさった素晴らしいことを、ほめたたえる口を持たない私たちです。私たち人間の口からは、不平不満やつぶやきばかりが出ることが多いのです。あなたも一日の生活を振り返ってみてください。一体どれほどの時間を、良きことを、神を讃えることあるいは感謝を表すために口を開いたでしょうか。つまり、人の徳をたて、神の栄光を現わすようなことのためには、口を開かないのではないでしょうか。

イエス・キリストは、私たちの口を開いて、神を賛美する者としてくださるというのです。彼のなさったことは、すべてすばらしい。このすばらしいイエス・キリストが、この月、12月にお生まれになったのです。

あなたも心の中にイエス・キリストを受け入れて、信仰が芽生えるならば、あなたは神をほめたたえることのできる者に変えられるのです。喜べなかった口が喜べるようになり、素直に神のことばを聞かなかった者が聞くようになります。すべてのことに感謝できるようになり、生活が全く変えられ、神を中心とした賛美に満ちた日々となるでしょう。

神の驚くべき奇蹟は、この日もあなたのために備えられているということを感謝してください。信仰のありがたさというもの、なんと嬉しいことでしょう。

今日まであなたがどれほど暗く、どれほど惨めで、長く悩みのために押さえつけられていたとしても、神様が触れてくださるならば、あなたは、悟りを開いたように、信仰の恵みの中に入ることができるということを思うと、希望がわいてくるではありませんか。惨めな弱い醜い心の状態を、イエス・キリストに率直に申し上げて、神からの、すばらしい救いをいただきましょう。

(放送メッセージより)