救いへの道
万代恒雄
最初に聖書、詩篇139篇4節を開きましょう。
「ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。」
人の心を見抜くことのできる神様のことです。喋る前に、すでに知られているということです。もちろん私達は、言語中枢神経の働きによって語るわけですが、語る前に私達の脳の中に語ろうとすることがイメージされますから、つまり心の中に浮かんだことが出てくるわけですから、それを神は知っておられるのです。心を見抜いてくださるのです。
神様は、時々恐ろしいお方だと思えるときがあります。なぜならば、そんな心の想いを見抜かれているからです。しかし、そういうお方を信じての生活の中で、神様と対話ができるということは、何と素晴らしいことではありませんか。
人間同士のお付き合いで、「あなただけに言うのだけれど…」と言って秘密を打ち明けますが、しかし、秘密はどんどん広がっているというようなことはよくあります。人間というのは信用できないし、どうも抜けたところがあるようです。でも神を信じるとき、神様というお方は、絶対にそういうことのないお方です。
人間はおしゃべりしなくてはいられないというような感じがあります。心の中のことを表現したいように人間はできているのです。孤独ということが人間にとって一番恐ろしいのです。絶えず、お喋りできる相手を無意識のうちに求めているようです。人間で、そういう相手がいなければ、自分のかわいがっているペットにでもしゃべりたいものだというのが事実ではないかと、ある書き物で読んだことがあります。
私自身、孤独な旅が多いです。もちろん、仕事ですが、外国にも毎年行っていますから、一人ぼっちの時が多いのです。ホテルで一人ぼっち、語る相手が一人もいない。仕事では説教を語るのですが、他に話しをする相手がいない中で、ふと気が付くと独り言を言っていることが時々あります。自分で自分に掛け声をかけて、「さあ、洗濯しよう」とか「さあ、少し休んでおこう」などと言っています。これはどういうことかと言うと、やはり人間は語るということを望んでいる存在であるということがわかります。
あなたがイエス・キリストを信じる時に、特に秘密にしないといけないこと、大事なことを語る相手が神様ということになると、お祈りによって、あなたは神と対話することができるのです。
私ももちろん毎日時間をかけて祈っているのですが、祈った後の爽やかさというものはかけがえのないものです。牧師であり、精神面の悩みをもつ方々のカウンセラーでもあるというだけでも、どれだけ多くの方々と対話しなければならないことでしょうか。一日に3、4名ほどの、ノイローゼのきつい方のカウンセリングをしますと、身体も心もくたくたになります。良いことは一言も言わず、悩みや辛いことをばかりを聞かされるのですから、もし、どこかに吐き出すところがなければ大変です。
イスラエルには死海という死んだ海があります。出口のない湖ですから、結局塩が多くて魚も住めないと言われています。流れ出るところがないとこうなります。私達も自分の心の中にあることを流し出すところがないと、欲求不満のかたまりになります。
あなたが神様を信じて、神様にお祈りができて、そしてイエス様の名を通して、しっかり神と対話ができていると、あなたは心を見ていてくださる神様との交わりの中で、平安をもつことができ、心の中に大きな喜びをいだくことができるのです。
信仰をもつことは大きな平安への、そして救いへの、最大の道であり、方法であるのです。神を信じましょう。
(放送メッセージより)