平安を得よう

万代恒雄

 聖書は、詩篇4篇8節を開きましょう。
 「平安のうちに私は身を横たえ、すぐ眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。」(詩篇4篇8節)
 あなたは夜休むとき、ぐっすり眠れますか。私は横になれば3分と経たないうちに眠ってしまいます。疲れていることもありますが、心に平安をもっているならば、すぐに眠りにつくことができるのです。しかし、心配事とか悩みとか、いろんな重荷があって、なかなかこういう風には寝つけないという人たちもいます。

 私はノイローゼの方々のカウンセリングを行っていて、いろんな方々のご相談にのります。時々、真夜中に電話が鳴ることもあります。電話に出てみると、相手の方の眠れない、辛そうなお声が聞こえます。もっとも眠れなくて、たまらなく苦しくて電話を掛けて来られるのでしょうから、仕方がないことです。やはり、眠れない夜というのは、長くて不安で恐怖に満ちているものなのでしょう。とするならば、安心しているということが、睡眠薬とかあらゆる方法に勝って、素晴らしい眠りにつく薬だと言うことができます。

 人間の心、それは不思議なものです。朝、機嫌を良くしていても、ちょっとした友人との会話の中でのひとつの言葉が、一日中、心を重くし、ふさぎこんでしまう原因になる場合だってあるわけです。

反対にちょっとしたことばのきっかけが、スランプから立ち上がる引き金になることだってあります。

 そうした意味において、あなたが十分に聖書のおことばに親しみ、キリスト教の信徒だと胸を張って言うことはできないにしても、少しでも聖書の言葉に触れ、聖書の神を信じようとされているならば、きっとあなたの心の中には、不思議な平安が宿り始めるに違いありません。

 いろんな悩みや問題の時、聖書を静かに読むとき、不思議な平安が訪れてきます。心に神様を持つということ、これが一番なのです。預金高が増えたから安心かというと、決してそうではありません。それを失うのではないか、という心配が訪れてくるからです。故に、いたずらに富むことを求める必要はありません。それよりも、心の中に神様を持って、今日一日を安心のうちに生きることができたと言えるなら、大勝利ではありませんか。結局、人生というのは、一日一日の積み重ねでしかないのですから、大きな幸せを追い求めるよりも、一日の確実な平安と幸せを積み重ねていった方が、よほど幸福なのです。

そのためにも、一日を終えて眠りに着くときに、一日の自己反省をし、また、新しい明日への決意を心に固めることです。そして、神様が守ってくださることを信じて、赤子のごとく神様の御手の中に横たわるような気持ちで、体を横たえてみるのです。そうすれば、あなたは一切の問題から解放されて、ぐっすりと休むことができるでしょう。それが、やはり健康の基だし、生活の活力の源ではないかと思います。

 イエス・キリストを信じて、本当の平安をご自分のものにしてまいりましょう。

(放送メッセージより)