神と共に歩む
万代恒雄

 早いもので、11月を迎えています。今月もあっという間に終わり、来月は12月、本当に今年も残り少なくなりました。この年が自分にとってどんな一年だったかと考えると、謙虚な気持ちになるものです。あなたはいかがでしょうか。今年はいい加減にしてしまったから、来年からは…などと言うようなことではなく、この最後の一か月半を大事に生きるということが大変な意味をもっているのです。一年間の歩みを感謝のうちに反省できる人は、残された一か月と少しの日々が、更に恵みをもつものになることでしょう。
 神を信じる信仰生活の中にあなたが自分を発見するならば、きっと信仰の持つ意味を深く味わいながら、この一か月を送ることができるでしょう。あなたがそんなおひとりであることを私は心から感謝します。

聖書のおことばを読みましょう。
 旧約聖書詩篇86篇17節です。
 「私に、いつくしみのしるしを行ってください。そうすれば、私を憎む者らは見て恥を受けるでしょう。まことに主よ。あなたは私を助け私を慰めてくださいます。」
「いつくしみのしるしを行ってください。」と、どんなことでも神様に申し上げることができるということは素晴らしいと思いませんか。神を信じる信仰者は、絶えず神を語り続けています。ですから、人生がいわば退屈な単調な響きの無いような生活に陥った時に、「神様、いつくしみのしるしを行ってください。」と、こう言う事ができるのです。そして、神が与えて下さるさまざまのしるしは、私達の人生に活力を与え、命を与えるものなのです。神を見上げる人生の尊さというものを、あなたが本当に知ってくださるならば、私達と一緒にイエス・キリストを信じる者になりたいと言ってくださると私は信じております。

 12月になって、過ぎた一年間をじっと考えてみて、「良いことなんかひとつもなかった。辛いことばかりだった。早く今年が終わればいい。」と思う人もいるかも知れません。でも、神を信じることによって、神のいつくしみのしるしを、あなたの人生に見せていただけるとしたらどうでしょう。来年こそは、イエス・キリストを信じて充実した一年を送ってみようと、きっとこんな気持ちになるに違いありません。あなたが病気をもっているとしても、子どものことで悩んでいるとしても、そして自分の人生に行き詰まりを感じているとしても、そんなことは一切構わないのです。人生に全く悩みがないと言うことの方がおかしいのであって、救い主イエス・キリストはおっしゃいました。「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16・33)
 要するに、あなたが自分自身のたましいを全能の神様の手に委ねるか委ねないかということにすべてはかかっていると思うのです。

 もしあなたが、神様がいるとかいないとかそんな議論を好むタイプの人であったとしても、私は議論を好みません。なぜならば、一つの事実は議論にまさるからです。この忙しい時に、神様はいるかいないかと言って、議論のために時間を費やすぐらいばかげたことはないと思うのです。でも、もし本当に神はおられるということが事実とするなら、このことは語らなければならないし、また、信じなければならないことでしょう。
 しかし、神は、私たちを議論で納得させることを求めておられるのではなくて、直接体験的にあなたの中に神の恵みを与えようとしておられると私は信じるのです。
 そのために、あなたに求めることは、心を開いて神を信じる心になることです。
 罪を悔い改めて、新しく生まれ変わることです。
(放送メッセージより)