人生の目標

万代恒雄

私達の日々の生活の中で、小さな希望を見つけたり、喜びの泉のようなことに出合ってみたり、感謝の気持ちが湧き、喜びに満たされたり、というようなことが私達の生活にはあるし、またそれも必要であると思います。そして人生にーつの目的意識を持って生きているなら、人生は素晴らしく回転してくるはずなのです。そんなことを考えながら、今日も聖書を読んでみましょう。

詩篇139篇13節

「それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。」

人生には目的があるということを考えてみたいと思います。私達は母の胎内で造られたのですが、誰がいったー体内臓を組み立て、心臓や肺を造り、すべてを造ってくださったのでしょうか。それは全き神様が、私達をこの世に送り出してくださる前に、私達を母親の胎の中にいる内に、一人前の人間として造ってくださっているのです。

幸いなことに私達は、それから後にいのちを与えられ成長して来たわけです。私達が人間として組み立てられていくこの不思議な仕組みは、人間の手にかかっていないということです。母親は栄養を取ったり健康に気をつけてくれたりしたでしょう。しかし、母親が内臓を組み立てたのではありません。そこには人間として生きるための全ての必要なものが、あらかじめ組み立てられ、生み出されているのです。つまり、神様は、あなたや私が人間として生きることができる目的をもって、この世に送り出してくださったのだと考えなければなりません。

そういうわけですから、人生を目的なしに生きるということは全く正しくないのです。私達は、浮草のように生きて、おもしろおかしくやれば良いぐらいに考えているかも知れませんが、そんな事では人生の目的を達成できないのです。

私達が神を信じるということは、人生の目的の中のー番にしなければならないことであると、私は考えています。自分の将来を考えても、どうなるのか誰にもわかりません。

死というものは確実にやってくるのですが、それ以後どんな世界が展開されるのかもわからないのです。またそこに行く確信があるわけでもありません。

イエス·キリストを信じる信仰をもって、いのちに満ちあふれて生きるということは、実に素晴らしいことで、そのこと自体が、すでに目的意識を持って生きると言ことになるのです。無目的というか、人がやっていることについて付和雷同して、いわば流行に流されてばかりいるような人生を送って平気な人が案外多いので驚いてしまいます。あなたはいかがですか?

私達人間は意識がないまま、まだ生まれたての時期には、計画など立てることはできないでしょう。しかし、自分というものを意識できるようになった時から、すでにそこには目標意識をもって生きるように、まず親が指導するべきだし、するようになると思うのです。

人生において、自分は神のために、また人のために、こんなことをしたいという尊い目慄を自分で設定して生きるべきです。

私達は学校に入学するのですが、学校に入ることが目標ではなく、入ってからの学びこそが目標なのです。

私達はどんな小さなことにも目標意識をしっかり持って生きるものになりたいものです。

そうした生活をしようと思ったら、まず、私達を生み出してくださった神様、私達の内臓やすべてを創ってくださった神様、人生の目標を与えてくださる神様に、信仰と信頼を寄せることにが必要です。そうすれば、私達の人生は目標を持ったものとなってくることでしょう。

神を信じて、イエス・キリストによって救われ、勝利を握ろうではありませんか。

(放送メツセージより)