聖書を開きましょう。旧約聖書、詩篇31篇7節です。

「あなたの恵みを私は楽しみ、喜びます。あなたは、私の悩みをご覧になり、私のたましいの苦しみを知っておられました。」

神様に信仰を持っている者が、心から喜び感謝している姿が描かれています。神様の恵みを楽しみ喜んでいます。しかし、この喜びには原因があるということに気がついておられますか。それは神様が私たちの悩みをご覧になって、私たちのたましいの苦しみを知っておられました。だから、「あなたの恵みを私は楽しみ、喜びます。」と告白しているのです。

私たちの日々の生活のことを考えてみましょう。

私たちは、喜ぶ理由をはっきりしたものを持たずに、ただ良い事があったから喜ぶとか、楽しいから嬉しい顔になるようなことが多いものです。だからはっきりとした根拠をもって喜んでいるのではないので、ちょっと何か問題があると、すぐに顔が曇ってしまいます。ましてや悩みや困難や問題があると顔が曇ってしまいます。悩みや困難や問題がほんとうにあったならば、とても喜んでいることなんかできません。そういう余裕はないのです。

信仰を持つということの大きな価値を、私は人生の中に、たびたび見い出すことができると思っているのです。嬉しいことがあるから嬉しい、辛いことがあるから苦しい悲しい、これなら風に吹かれて泡立ったり波立ったり、あるいは静かになったりする海の表面、水の表面と同じことであります。まことに根拠がなく、心配でたまりません。

ゆえに、まことの神に対する信仰を持たないで生きていると、大きな問題にぶつかったりすると、立ち上がることができないようなショックを受けます。また、ちょっとした問題でもただどこかに助けを求めて、とんでもないものを信じるという結果になったりするのではないかと思うのです。

前記の詩篇の作者は、自分は喜んでいると言っています。しかしその理由が、神様が「私の悩みをご覧になり、たましいの苦しみを知っておられた」と、信仰というものの素晴らしさを、あなたもきっと見つけてくださると思っています。どんな事があっても、神は知っていてくださる。神は全て覚えていてくださると信じることができる神に対する信仰があればこそ、私たちは、どんなことの中でもじっと耐えることができるのです。人が見ると驚くだろうと思える大きな問題の中にあっても、なお喜びを失うことのない生活が、実際可能になってくるのであります。

あなたは今、自分の生活を考えてみて、喜んでいらっしゃいますか。それならばそこに喜ぶ理由があるでしょう。しかし、喜ぶ理由が特になくても、生かされている事の基本的な喜びが生活を支配しているということでなくてはなりません。あなたが今日喜んでいる、実際は何も問題がなくて喜んでいる。その根本に流れているものは、神様が私を生かしてくださるし、神様が私を捕えてくださる。神様が全てを知っていてくださるということだと、言えるのではないでしょうか。

私自身も自分のことを考えてみると、何かのいろんな問題意識の中で、左右されていたと思います。だから、「つまらないなあ」と思えるような日を過ごした事が度々ありましたが、それは喜ぶ理由がないからであったと思います。

私たちは何かの理由を見つけないと、自分たちの心はどうしようもないのです。その理由の中に、神様が自分を知っていてくださる、自分の悩みを知っていてくださるので、自分は喜ぶし、どんな問題でも切り抜けてるゆくことができる、こういうのが本当の信仰の価値であります。

自分の人生を確実にプラスの方向に意思を持つことができ、あるいは位置づけ、そして自分のたましいを引き上げてくれる原因となるべき、神に対する信仰をしっかりと持ってください。
そのことによって、あなたはどんなことにも動かされない人生を築くことができるのです。

(万代恒雄・放送メッセージより)