どうしても必要なこと
万代恒雄
月日の流れはほんとうに早いものです。今年も、もうクリスマスの月を迎えました。それは、この年も終わりが確かに近づいているということでもあります。
今年一年を振り返ってみて、本当に良い一年だったと、しみじみと思うことができる方は幸いだと思いますが、ある方々にとっては、後悔にも似たような気持ちが残る一年だったかも知れません。一年の終わりに神様によって心を整えていただきたいと思います。
聖書を開きましょう。
ルカの福音書10章41,42節です。
主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」
主イエス・キリストが、ベタニヤという村の、マルタとマリヤの家を訪れた時のことです。姉のマルタは大喜びでイエス様を迎えもてなそうとしました。台所で、一生懸命料理の準備でも始めたのでしょう。ところが妹のマリヤはというと、イエス様の足もとに座って、その話すことばに聞き入っているだけではないですか。マルタは、もてなしのために一生懸命にしていることで、すでに落ち着きを失っていたのですが、マリヤの様子を見て、今度は気持ちが苛ついてきました。姉がバタバタと忙しそうに働いているのに、何も手伝おうともせず、ただイエス様の話を聞いているマリヤ。やがてマルタの苛立ちは限界に達したのでしょう。イエス様に、「妹のマリヤに手伝いをするようにおっしゃってください。」と言うのです。それに対してイエス様が答えられた言葉が、今日の言葉です。
いつの時代にも、マルタのような婦人は珍しくはありません。年末を迎え、忙しくなるのは当然でしょうし、あれもこれもと、成さなければならないことが山ほどあるのも事実でしょう。クリスマス、年末年始と、食事のこと、来客のことにも気を使います。そこでお出しする料理や、ちょっとした心遣いが楽しい時を生み出しますし、その場が楽しいとまた、同じ料理であっても、その料理が美味しく感じたりもするのです。ですから、もてなす側は気を使わないわけにはいきません。しかし、そこで、落ち着きを失ったり、苛立ったりしてしまうと本末転倒です。イエス様が「どうしても必要なことはわずかだ。いや、一つだけだ。」と言われる言葉に耳を傾けましょう。
では、どうしても必要なこととは一体何でしょう。イエス様は、マリヤはどうしても必要なことを選んだと言われているのですから、どうしても必要なこととは、マリヤのようにイエス様の言葉に聞くということになります。イエス様の言葉を聞いて、自分のたましい、いのちを委ねることのできる神様と出会うこと、それが私たちとって本当に必要なことなのです。
そして神様との出会いがあれば、私たちがあれこれ自分の人生のことを考え、必要だと思っているいくつものことが、実はそうではないこと、私たちにどうしても必要なものは、そんなに多くはないことに気がつき始めます。すると、気忙しさの中で何かと心に生じている、不満や苛立ちがきよめられるのです。さらに、心がきよめられると人生が変わる。つまり救われるのです。
年末、あなたの忙しさも分かります。いろいろと気を使わなければならないこともあるでしょう。だからこそイエス様の言葉に耳を傾けて、まことの神様と出会おうではありませんか。そして、感謝をもってこの一年を締めくくり、心に平安をいただいて新しい一年を迎えて参りましょう。
(放送メッセージより)