救いは神から来る
万代恒雄
まず聖書を開きましょう。
「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。」詩篇62:1
子供が騒ぐと母親は、「静かにしなさい」とか「黙っていなさい」とか言うものです。あるいは、おしゃべりの奥さんにご主人は、「少し静かにしたらどうだ」などと言う場合もあるでしょう。また、こんな事を言ったら人に笑われるだろうと解っていながら、どうしても心の中で抑えることができなくて、ついおしゃべりをしてしまうといったことも案外あります。人が黙っているということは大変難しいことのようです。
さて、今あなたの心の中に悩みがあるとしましょう。それがどんな種類の悩みであっても、あなたが口を開いて誰かに話す時、心の中のつかえが取れて、その悩みが解決されたように思うかもしれません。けれども決してそうではないのです。口は災いの元といいますが、あなたが黙っておられないというところに、実はあなたの大失敗があって、どれだけ多くの人が、この失敗に泣いているかわかりません。心の中の様々な葛藤や思いを、助けてもくれない人に訴えたところで何になるでしょうか。
あなたの話を、目を輝かせ、親切そうな顔をして聞いてくれる人がいるでしょう。しかし、悩みが複雑で、面倒くさい悩みであればあるほど、聞く方にとっては面白いことでもあるわけですから、興味本位ということもあります。もちろん、親身になって話を聞いてくれる人もいるでしょう。あなたは聞いてもらうことで少しは楽になります。でも根本的な解決にはならないわけです。
聖書は、私達がただ黙って、神の助けを求めて神の御前に立つ、そこに本当の解決があると言っています。あなたの全ての問題に対しての解決の力は、その問題、悩みの時に、神の御前に黙って立ってみる、そこからやって来るのです。なぜなら黙って神を待ち望むことこそ、神への揺るぎない信仰の現れだからです。信仰とは、単にことば上のことではなく、あるいは頭の理屈ではなく、神を信じる者の神の前での実際の在り方なのです。
私もイエス・キリストを心に受け入れ、神を信じる者とされて、問題の時に黙って神の御前に立つことで、どれだけ多くの悩みから救われたか知れません。もし自分が口に出してしゃべりまくっていたら、もう自分自身はバラバラになっていたかも知れません。
神は真実なお方です。あなたが本当に神を信じる者となるならば、神はあなたの心の問題を見通してくださって、あなたの内に神の救いが届いて来るのです。信仰とは、そんな素晴らしいものなのです。私たちは、クリスチャンというと何か特別な人のように考えてしまうところがありますが、そうではありません。ただ自分の心の中に、イエス・キリストに対する信仰をしっかり持っている。つまり、イエス・キリストを信じて生きているのがクリスチャンです。
人に語るのではなく、イエス・キリストに語り、祈り、御前に出てゆく時、救いが私達の内に訪れるのです。心から、イエス様の救いの恵みに感謝します。
(放送メッセージより)