御言葉に導かれよう
万代恒雄
神様の恵みは、日々新たで、祝福にあふれています。
私は、毎朝目が覚めると、「神様、今日も祝してください。大きな問題から守られて、神様の愛で包まれますように」と、祈るのです。あなたはいかがでしょうか。毎日を大事にして、祝されたいと思いませんか。
今日の聖書の御言葉を開きましょう。詩篇119篇74節です。
「あなたを恐れる人々は、私を見て喜ぶでしょう。私が、あなたのことばを待ち望んでいるからです。」
私がイエス・キリストを信じる信仰を持ったことを、家族に告白して一番喜んでくれたのは、実は、クリスチャンでもなかった私の母親でした。「やっとお前は、神様のおことばを聞くようになったのかい」と、言ってくれたことばを、今も思い出します。私は大学生ではありましたが、理屈だけ一人前で、周りの人達に反発していましたから。教会に行って、神様を信じようかなあと言った時に、母が喜んだのは当然でしょう。
あなたが今、自信満々、エネルギーにあふれて生きているとしても、真の神に対する信仰を持っていなくて、あなたが神の御言葉に耳を傾けない状態だとすると、私はやはり悲しいと思います。そのあなたが、神の御言葉に耳を傾け、神が言われることを望みと思うようにするのだと言うならば、私はあなたが、一億円の宝くじを当てたよりも、あるいは大学を出、大学院まで出て博士号を手にしたと聞くよりも嬉しいだろうと思います。なぜならば、神の御言葉に待ち望むということの中に、人間の限界では到達できない、それを超えた世界への可能性と希望が、その中にあるからです。
私自身も、自分の人生で、神を信じ、神にあって自分の人生を見つめ、神の言われる可能性の中に自分を見出した時に、本当の喜びを感じたのでした。ですから、あなたが自分の人生で、どんなに大きな希望と勇気をもっていると言い、自分の知識を駆使してそれを説明したとしても、その言っていることばには、無限の可能性と同時に、無限の失敗も含めていると言わなければなりません。
あなたの人生の中に、あなたが自分のことばに対して、どれほど自信を持っていても、それはちょうど、あなたが鼻で息をしていて、それが止まれば死んでしまうのと同じようなものです。
しかし、「天地は過ぎ去るかも知れない、でもわたしのことばは絶対になくならない。」と言われた神のことばに望みをおくならば、その望みほど私共の人生を新しく喜びに満たしてくれるものは他に絶対にないことを、私は知っているのです。
永遠の神に対する希望、それを望みにして生きるとき、人間は果てしなく飛躍することができます。
「あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。」(11節)と聖書にあります。神の御言葉、これは私たちの人生を正しく導く偉大なパワーです。
ですから、私達は、神様の御言葉を自分の生活の背後の力として生活しましょう。神の御言葉に望みをつないで、お祈りしつつ生きて行きましょう。
(放送メッセージより)