人生に光を
万代恒雄
新しい年がスタートいたしました。まだ新年ほやほやですから、私達の希望も期待も大きいわけです。
「今年こそは、やるぞ!」こんな気持ちで日記帳を手にした人もいるのではないでしょうか。しかし、一か月過ぎる頃には、もう止めてしまう人も多いのです。まあ、人間はそういうものかも知れません。だから今のうちに、しっかりした思いをもってこの新しい年に対する祝福をつかんでおきましょう。
さあ、今日の聖書のおことばを開きます。詩篇118篇27節です。
「主は神であられ、私たちに光を与えられた。」
単純で短いですけれど、素晴らしい御言葉です。天地宇宙創造の初めに、神が「光あれ」と言われた時に、光があったと聖書の一番最初の書物である創世記に記されています。
主は神であり、私達に光を与えられました。天地宇宙の創造の始めに神は光を造られたのです。これには、いろいろな意味が含まれていると思うのですが、私達の生活の中で例えれば、家族の中に光が欲しいと思います。それは、つまり、家族の一致、平和等々、色々あるでしょう。学んでいる者は、学びの中に光が与えられたいと思います。突然与えられるひらめき、それが発明になったり発見になったりするものです。経済の問題にも光が欲しいと思うでしょう。不況から脱出の道、経営立て直しの光、新しい経営のためのヒントの光。
私達は人生に光を必要としています。その光をあなたはお持ちでしょうか。
信仰を持つというのは、光を持つ明らかな方法であり、しるしだと思います。しかし、信仰ならどんな信仰でもいいかというと決してそうではありません。信仰を持って、かえって光を見失ってしまったと言う人もいるのです。だからこそ私達は、「主は神であられ、私たちに光を与えられた」という御言葉を重く見るのです。神様というお方を、正しく知らなければなりません。
人間が作ったものを神様と言っていることも、数限りなくこの地上にはあることでしょう。夢枕に偉大な人が立って、「お前に神の知恵を与えよう」と言われたなどと言い、誰かがいきなり神らしきものになることだってあるのです。しかし、「主は神であられ、私たちに光を与えられた」という御言葉は、本当の神様はどういうお方であるかということを示しています。主は神であられるお方、まことにご自分が神だと宣言したとしても疑いようのないお方、天地万物を創造された宇宙の根源であるお方、神、この絶対者を私達は神だと信じています。その神が私達に光をくださったのです。
あなたは、いろんなものを標準にこれからの人生を生きていくのでしょう。例えば、お店に行って何か物を買うとします。目方で買おうとしたら、そこにはスケールがあるはずです。その計りも万国共通の物でないといけません。日本で計る目方と外国で計る目方が違っていたのではお話になりません。そこには絶対的な計りの重さの基準があるわけで、それは重さだけではなく長さも同様です。そして人間の心の中の標準、それはやはり神様なのです。「私は良心的に生きている」という人もいますが、良心は人によって基準が違うのです。だから絶対的なお方を神とする。そういう意味で神、宇宙の根源である創造主であるお方を神として信じる。このような信じ方こそ、私達の中に必要なのです。
どうぞ永遠に変わらない、すべての人が認めている聖書の中に啓示されているまことの神を信じて、信仰の歩みをする者になってください。その創造主である神は、罪を犯す人類のため、救い主イエス・キリストをこの世に遣わし、あらかじめ十字架上で人類の罪のあがない、救いの道までくださっているのです。私達人類は、それを信じなければいけないのです。「信じる者は救われる」のです。
(放送メッセージ)