日常の生活の中で、喜びを感じておられますか。喜びを味わうということ、幸福であると感じることを、しみじみと味わっておられますか。そうした感情をあまり意識するということが少ないと思われます。私達にとって、幸せというと、宝くじが当たるというような、いつもあるものではない。本当に入手しにくいものだという考え方が潜在意識にあるようです。

私自身は、聖書の信仰、つまりまことの神を信じて歩んでいますが、もう何十年の信仰生活の中で、幸いであるという事については、もう何の疑いもなく、幸せを感じつつ生活ができています。そして幸せであり続けたいと願っています。しかし、人生には、いろいろな問題があって、なかなか思うようにならないのですが、聖書は実に不思議なことばを語ってくれています。そのことばを読んでみましょう。

詩篇20篇4節。
「主があなたの願いどおりにしてくださいますように。あなたのすべてのはかりごとを遂げさせてくださいますように。」

つまり、これは神様があなたの願っていることをしてくださるように。そして、全ての人生計画を成就してくださるように。と書かれているのです。すばらしいと思いませんか。

自分の力で何事かを成し遂げるという場合には、人間には、思い違いもあるし、計画くずれもあるでしょう。あるいは人間のする事ですから反対も起こってくるでしょうし、思いがけない事態が起こってくるでしょう。いつも自分の願い通りに万事がうまくいくように考えない方が良いと、言う人もいるのです。しかし、まことの神様を信じる信仰をもった喜びというか確信は、とても素晴らしいのです。

イエス・キリストを信じる信仰は偶像信仰ではありませんから、人格を持たれた神を信じているわけです。自分ひとりで事を起こすというよりは、神が力を与えてくださり、助けてくださって、私たちの人生は神の御心によって作られていくという意味であります。信仰をもっていつということは、ほんとうに喜びなのです。それは自分が不可能の壁にぶつかることがあるとしても、神が力を与えてくださるという事について、いささかの疑いももっていないのです。
つまり神様と共にあるということが信仰生活であるからです。あなたの問題がどんなものであれ、あなたが真剣にイエス・キリストに対する信仰をお持ちであれば、私はあなたに向かって言うことができます。「どうぞ、神様があなたの願い通りにしてくださいますように。」「神様があなたのすべての計画を成就してくださいますように、と私も祈らせていただきます。」と。

信仰をもたない人生は、精神的に非常に深いところで孤独だというふうに私は思っています。なぜならば、自分以外に、本当に頼りになるものが究極的なわけです。すると、自分が弱さを感じる時、つまり自分の絶望の時にということになるわけです。

あなたがイエス・キリストを信じて、神との間に信仰の契約をしっかりもって人生を生きてゆくならば、例え詮方尽きても望みを失わないで、神があなたの願いを助け答えてくださるように、人生の目標を完全に成就させてくださるようにと信じる者でありましょう。

「まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたことができるだけでなく、たとい、この山に向かって『動いて、海にはいれ。』と言っても、そのとおりになります。あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」(マタイ21:21)

信仰をもつということは、力であります。この力ある神を信じて、人生のあらゆる問題に体当たりして勝利する。これが信仰生活であって、信仰は人生の逃げ道ではありません。
あなたが、まことの神への信仰をもって強くなってくださることを祈ります。

(万代恒雄・放送メッセージより)