第24回日本福音宣教会 全国聖会 聖会Ⅲ 佐藤彰師メッセージより
聖書箇所:イザヤ書43章18節~21節
■クロアチアでの大怪我、最悪の事態の中で神の最善
(震災の証し新会堂「翼の教会」献堂などの映像の後)このような映像をみるともう6年半もたっているのに涙がでてきます。しかし、だからといって未来まで涙に染めてはいけません。「未来に向かえ」というお話をします。
今松葉杖をついてますが(※佐藤彰師はクロアチアで転倒して複雑骨折をおい入院中。聖会も入院先の病院から松葉杖をついて駆けつけ御用くださいました)、クロアチアの地方都市スプリットで転んで、救急車で運ばれ手術をすることになりました。
この聖会ともう一つの奉仕以外は全部キャンセル。そして、もう私の足は治らないんじゃないか、全然知らないこの国で手術して大丈夫だろうかと不安でした。手術後、ストレッチャーで日本に帰るのも簡単でありません、何人ものお医者さんの許可証がないと、成田空港までたどり着きません。熱は下がらず、外国で落胆したことでした。
結論をいうと、最悪の、私達の計画と違うことに直面しても、最善しかなさらない神様を次々と体験しました。
私を手術してくださったお医者さんは、外国からも手術してもらいにくるという名医でした。帰国後、整形外科のお医者さんに見てもらったら、素晴らしい手術だ、よくぞこの難しい手術がここまで成功したものだと言われました。
手術は成功しましたが、野戦病院のベッドのようなところで、リハビリというものがあってないようなもので、約一ヶ月、あらゆる筋肉が固まって癒着してしまいました。残りあと一時間で次のチケットが駄目になるギリギリのところで、コペンハーゲンのお医者さんからFAXが来て許可がおり、救急車で空港にむかいました。「山が動いた」と思いました。奇跡的に成田空港にたどり着き、二転三転して入った病院は、理学療法士が100人ぐらいいて、プロのスポーツ選手もリハビリに来て芸能人も来る最高の病院でした。
皆さん、私達は思いもよらない明日があるかもしれないし、震災もあるかもしれない、事故も怪我もあるかもしれない。神様は未来形の神様です。人間は後ろ向きです。弱気な自分が支配するんです。
だから神様が用意している心震えるような未来を見たかったら、どこかで自分のしがらみを断ち切って、自分の心を支配する悲しみや痛みを振り切って、そして目の前の困難に負けないで覚悟を決めて、神様の未来に向かって、ジャンプし前進すると、その時にさっと扉が開かれるんです。
■過去にとらわれない
「先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな」(イザヤ43:18)
第一は「過去にとらわれない」ということです。このイザヤ書の43章は有名です。神は、あなたを愛している、あなたの名を呼んだ、あなたは高価で尊い、そのことにアーメンという人はそこで終わるなってことです。18節まで進めというんです。神に愛されてることを疑いませんという人は、次のステップがあるんです。
それは、昔のことをいつまでもウジウジ思い出したり考えたりするな。わかりやすく言うと過去にいつまでも連綿として縛られるな、大事な今日を支配させるな、明日まで涙で染めるな、過去の色で未来まで染めるな、ということなんです。
この御言葉が書かれたイザヤの時代は、ヒゼキヤ王でしたが、しかし多勢に無勢の小さな国に、東からアッシリアという巨大な大帝国が攻めてきて風前の灯火でした。
「私は過去を振り返ってうじうじするのが好きなんです」とか、そういう問題じゃないんです。これは聖書の命令です。自分で心を決めなければいけないんです。「新しい自分になる」震災が私に言わせた口癖です。「新しい教会になる」でもいいです。
私は、大震災で深い傷と悲しみを負ったけども、これで自分が変わらなかったら許さない、これだけの痛い目にあってどれ程の成長もなかったら自分を許さない、最後に残る大事なエッセンスは昔を取り戻すことじゃない、自分がどう何が変わったかだけが残るんだって。かつての教会を取り戻したりはしない、新しい教会に脱皮するんだ、新しい教会を作るんだ。それ以外は価値がないと大震災が私に言わせたんです。
今月、長年住んだ家が取り壊されます。私たちの教会員のほとんどが家を駄目にしました。当然、悲しいですよ。しかしいつまでも悲しんでいていいんですか?いいえ。聖書は、もうそこまででいいから、思い出すな、もう考えるなって言うんです。
私たちは、誰でも思い出すと私なんかダメなんだと思う出来事がある。でももう二度と、それに支配されるな、人生やりなすことはできないけど、ここから新しく始めることができるんだから。過去に縛られず、前進すると決心しなさい。神に愛されていると信じる人は、過去を振り切って未来に進むのです。
■目の前の困難という現実に負けない
「見よ。わたしは新しいことをする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける」(イザヤ43:19)
何度かイスラエルに行ってますが、荒野は最低2L水を持ち歩かないと日射病になるような厳しいところです。大地が乾いて、人が住めたところじゃありません。
過去を振り切って、もう昔のことには支配させないと言ったら、荒野ですよ、野の花畑じゃないんですよ。過去を振り切っても現実は厳しい。けれど神様は、厳しい現実の中あなたは前進するのだとおっしゃっているんです。
震災は、私に二つ目にこう言わせたんです。「前向き以外は意味がない」。震災時のキーワードは、スピードと決断です。失敗も成功もない。今決めたら一歩前進し、うまくいかなければ次の決断をする。なので、震災が生きるリズムを変えました。とにかく前に進め。それ以外は意味のないことだ。
ゴールド免許の更新時の講習を受けましたが、その時に「ハンドルに手をかけたら、キョロキョロしないで前だけ見て進んでください」と言われました。皆さん人生のハンドリングもとにかく前へ前へですよ。人と比べたり、あの人のようでないと言ったり、意味がないですよ。神様があなたを次はこのステップまで来なさいっていうところまで、私たちは前へ前へと進むんです。
荒野を偶像化してはいけないんです。偶像ってアイドルといいますが、アイドルを愛しすぎるとその人しか見えなくなります。偶像を神様は嫌う。あなたが信じているのは荒野ですかって、この荒野と自分の現状を考えたら、乗り越えられないっていう結論出すんですか?あなた何信じてるんですか?偶像信じてるんですか、それとも荒野を乗り越えさせる神を信じてるんですか?
全ての試練や困難は私たちを潰すために存在しないんです、全ての困難は私たちを強くするためだけに存在します。自分で乗り越えられなくても、神様が乗り越えさせ、次のパノラマを見せてくださるためです。
私は、いわき市に故郷の福島が忘れられないので、なるべく故郷に近いところに行きたいと願う信徒三〇人の住むところを探しにいきました。不動産屋を巡ってどこもないと断られましたが、不思議に奇跡的に三〇人分の部屋が一週間で与えられました。私は、ああ神様だと、天からマナが降ってきたと思ったんです。火の柱、雲の柱だと思いました。
また教会なんか建てるつもりは当初ありませんでしたが、いわき市で外で礼拝していて雨が振り、惨めだと思っていると、心に神の声がしました。「いつまでウジウジくよくよしているんだ」って。「すべての教会が一瞬にして消えたならば、何で大震災が産んだ新しい教会堂をつくろうとしないのか」って。
その直後、不動産屋に行き、また不思議なことに、最初は絶対売らないと言われていた地主さんから素晴らしい条件の整った土地を買うことができました。
後から気がつきましたが、私の教会を創立した宣教師は「この教会はいわきに行って伝道するんだ」と70年前に言ったとか。私は、そんなことも露知らず、大震災を通して降り立った所が、宣教師が指さしていた「いわき」だった。70年前から神様が翼の教会用に確保していた土地だったんです。
私たちの信仰が養われ、一歩踏み出すならば海が本当に分かれた、本当に山って動くんだということを理屈ではなくて皮膚から肌から染みて体験する者になるために、神様は荒野の旅路をあえて用意してくださっているんです。
■無くしたものは数えない
「野の獣、ジャッカルや、ダチョウも、わたしをあがめる。私が荒野に水をわき出させ、荒地に川を流し、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。」(イザヤ43:20)
「あれがなくなったらもうだめだ」と言わない、神様が与えてくださるものだけ数えて見つめて未来に向かっていいんですよ。荒野に水を、荒地に川を設ける神様の未来を体験するのだって。神様の未来に向かって、神様のペースで、神様の波長で、神様の歩幅で一緒に進むんだと。
私の人生もそうです。どうして牧師になるって決心したんですかって聞かれると、いつも同じ答えしか出ません。「母の祈り」だって。
私は小さいころから教会に連れていかれてたけど、行かなくなりました。二度と行かないと言いました。しかし突然、教会に行き、クリスチャンでもないのに椅子に座った瞬間に電気に打たれるような経験をし、牧師になるって思いました。信仰もなく、牧師は何してるかも知らないのに。
一年後に洗礼を受けて、五年後、神学校行くって母に手紙を書きました。母から返ってきた手紙には「そんなの知ってた」ってありました。
二二歳のあなたが、二十年前に二歳の時「お母ちゃん僕は大きくなったら牧師なる」とか言ったそうです。私は記憶がないんだから知りません。母はそれを真に受けて、私を教会に連れて行って、もはや私の子どもではない、神様にお捧げしますと、この子は牧師になりますと祈りました。なのに私は教会から離れていく、しかし母は誰にも言わず、毎日祈っていたら、突如帰って来て、牧師になるとか言って。恐ろしいぐらいだと書いてありました。ほんとうに神は生きておられるって。
だから私は牧師になって何十年か経ちますが、プラス二十年、母は私の働きのために祈っているんだと思ったら、もう私の能力とか努力とか可能性とかはるかに突き抜けて、神様の大きな御手の中で、私は生かされているんだと告白するしかないんです。私は、母が夢見た未来の中を旅しているんですよ。神様が用意している未来があります。私たちが見ていない未来もあると思います。
私は、毎年ルーマニアに行っています。ルーマニアは独裁国家でしたが、崩壊のきっかけは教会です。教会の説教で「神はいる、生きている。いつまでも独裁者をほうっておかない」と牧師が説教をしたことがきっかけで、流血事件が起きました。それが飛び火して、うねりのように「神はいる、生きておられる」と人々は叫び、それから、メラメラと広がり国が崩壊して、そして大リバイバルが来たんです。
人々は教会にごった返し、黒山の人だかり。礼拝の二、三時間前に行かなかったら、教会堂に入れない。入れなかった人々が廊下にあふれ、二階によじのぼって、窓を開けて、テープレコーダーを差し出して、牧師さんの説教を少しでも録音して、故郷に持ち帰って聞かせるという具合です。それほどのリバイバルでした。私は、そんな風景があるなら、目の黒いうちに一度見てみたいものだと思いました。神様が用意してる未来なら、どのようなワクワクする未来でありましょうか。
■ほんとうに主は素晴らしい!
「わたしのために造ったこの民は、私の栄誉を宣べ伝えよう」(イザヤ43:21)
私は、震災後、今まで行かなかった、いろんな教団やいろんなところでお話をするようになりました。ある時、初対面の30代のサラリーマンが握手を求めてきました。彼は言いました。「3.11の映像を見て、神はいない、こんなむごたらしいことが世界で起こるとしたら、誰の意思もこの世界に存在しない、全ては偶然だと思った。けれど、おたくの教会の歩みを知って驚いて、どうせ一回の人生ならば、私もそんな道を歩もうかなって先日洗礼を受けたんです」
私はもう十分だって思いました。五体満足よりも大事な腕を失っても天の御国を勝ち取るならばお釣りがくるんですよ。この一人の人が、洗礼を受けるきっかけになったならば、私達の大したことのない苦しみは、十分お釣りが来ると思ったんです。
私達は、やがて言うんです。本当に主は苦しみの道も与えたけれど、素晴らしい主だったと。
あるルーマニア人が書いた「織物」という詩があります。神様は機を織っています。そして厳選した金の糸、銀の糸で私達の人生を織っていくんですよ。しかし私達は、神様の目線じゃなく下から見て、傲慢にも怒ったりするんですよ。神様が意図的に深い悲しみの糸も刺すからです。すると、神様はやおら機織り機を止めて、織物をガバッと広げて私達に見せてくださる。その時私達は知るんです。私の人生に深い悲しみの糸が、どうしても必要だったということが。あまりにも完璧な大壁画のような絵模様ゆえに心震えて感動するんですよ。
私が本当に一緒に喜び合いたい人は私を今の教会によんでくれた一人の姉妹です。神学校にいる私のところに来て、福島県の田舎の陸の孤島のような二十人の教会ですが、牧師がいないから来てくださいって。私も二四歳ぐらいでしたが、行くとこないので行きました。本当に私も家内も大事にしてくれました、「この人はやがて用いられる、やがて偉大な働きをするようになる」と、それほど期待してくれているこの人のために、成長しなくちゃいけないと思いました。
姉妹は田舎の名士の家で、宣教師に誘われるように伝道集会に行って救われたんですよ。信じたのはいいけど、田舎で、名士の家で姑に許してもらえずたいへん苦労しました。ご主人は東大出のインテリだったそうですが、家庭集会になるとプロレスを最大ボリュームにして迫害する。しかし、やがて病になり、奥さんの手を握り「おまえ、今までありがとう、僕も同じイエス様を信じているから心配するな」って亡くなりました。
彼女はガンに侵された時、一緒にアメリカに行って、引退した宣教師に会いに行き、教会でいい証しをしました。「あそこにいるお年寄りの宣教師が二四、五歳で、私にキリスト教を教えてくれて、福音を信じて本当に良かった。私は体に四つのガンがありますが、ほんとうに死の恐怖がないんです、主人が待っているところに行くんですって」宣教師は涙をいっぱい溜めていました。私にはそれが、日本の東北の田舎に行って奥さんを失ったけれども、この一人の日本人の女性に伝えて我が人生、宣教師生涯に全く悔いがないという涙に見えたんです。
彼女は日本に帰って、手術をする直前に神様がこれほどのことをしてくださったのに、何ほどのこともしてないと300坪の土地と大きな献金をささげ「ノアの箱舟の教会堂」がそこに建ったんです。彼女はその土地に立った時、イエス様の幻を見たという。彼女はそこではらはら泣いたそうです、イエス様が出会ってくださった。
彼女が亡くなる5時間半前、私は言ったんです、「あなたが私を呼んだ、あなたが私を育てた、あなたは私の信仰の母だって、あなたのような教会員を牧させてもらった牧師であることが私の勲章だ、私のプライドだって」
その時に思いました。天の御国に行った時に、これほどの信徒を牧会した牧師はどこかと言われたときに、とても恥ずかしい。信徒でもこれほど奉仕して、思いのありったけをささげて、主に一点の曇りもなくみごとに全うして天に帰ったのに、牧師がこの程度か、とても立てないって。しかし、いずれかの日に、主よ、私こそが彼女を牧会させてもらった栄えある名誉ある牧師でありますと言いたい。私の焦点はそれ以上でもそれ以下でもないんです。
皆さんの未来はどこに焦点を当てますか。人よりも早かろうが遅かろうが関係ないんです、人より偉大な働きをしようしまいが関係ないんです。私は、やがて彼女の隣に立って「主よ、私は彼女の牧会者でありました」というところを目指し全うしたいと思っています。
(第24回日本福音宣教会全国聖会 第三聖会メッセージより)
【講師プロフィール】
佐藤彰師 福島第一聖書バプテスト教会牧師
2011年3月11日、東日本大震災に遭い、原発から5キロに位置する教会は一時閉鎖、教会員や地域の人たちとともに流浪の旅に出る。約700キロの旅を経て、2013年春、放射能汚染でブロックされた故郷の南70キロに、古里の方向を向いて立つ翼の形をした教会堂を再建。その道のりは、国内外のテレビ、新聞等でも取りあげられた。
著書に、『選ばれてここに立つ』(日本キリスト教団出版局)『流浪の教会』『翼の教会』『順風よし、逆境もまたよし』(いのちのことば社)『くびわをはずしたパピ~パピの東日本大震災~』(自由国民社)等がある。